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エースと4番打者の引退に感じた「一時代の終焉」

 「J.T. STRENGTH & CONDITIONING」の代表取締役社長として活動しているJ.T.(高橋純一)と申します。今回は21日の中日戦(神宮)で引退試合を行ったヤクルトの館山昌平投手、畠山和洋内野手についてお話させていただきます。

 

 私がヤクルトのコンディショニング・コーディネーターで在籍していた時に、エースとして館山投手、4番で畠山選手がチームを引っ張ってきただけに、今回引退の一報を聞いて、一つの時代が終わったなあと感慨深くなりました。

 

 館山投手は引退試合のセレモニーで、石川雅規投手への感謝を口にしていましたが、プライベートでも仲が良い二人は左右のエースとしてヤクルトの投手陣を支えてきました。館山投手はトレーニングに関して、今までの日本人にはない考え方で取り組んでいました。専門家も舌を巻く知識量で、ウエートトレーニングで作った強く柔らかい筋肉を基に動きを出そうというスタイルでした。9度の手術を経て心が折れそうになったことも何度もあったと思いますが、何度も立ち上がる姿は若手のお手本でした。一見すると近寄りがたい雰囲気で独特のオーラを身にまとっていますが、チームのために身を粉にすることも厭わない情熱を持った投手でした。首位を独走しながら、シーズン終盤の土壇場に中日に逆転優勝を許した11年。中日とのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第2戦で守護神を務めると、中2日の5戦目に先発登板しました。指先に血行障害を抱えながら投げ続けた姿は今も鮮明に覚えています。

 

 畠山選手は豪快な「ギャンブラー」でした。打席では球種やコースにヤマを張って豪快に打っていましたが、投手の球種のデータ、バッテリーの配球の傾向など熱心に研究していました。長打狙いの打撃で粗さが目立ちましたが、確率論を突き詰めて打撃スタイルを打点重視にシフトして勝負強さは随一でした。14年ぶりのリーグ優勝を飾った15年に105打点をマークしてタイトルを獲得したのは努力が結実した結果だと思います。

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 館山投手も畠山選手も度重なるケガと戦い、満身創痍の状態でプレーしていたと思います。少し心身を休めてもらって、今度はコーチとして後進を指導している姿を見たいですね。