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J.T.連載第31回 入団直後にトミー・ジョン手術…どん底からはい上がった野球人生

「J.T. STRENGTH & CONDITIONING」の代表取締役社長として活動しているJ.T.(高橋純一)と申します。今回はヤクルト・山本哲哉投手の引退についてお話させて頂きます。

 

   引退の一報を知ったのは9月30日。朝に携帯のニュースで知ると、本人から「引退を決断しました。ありがとうございました」とすぐに連絡がきました。私はヤクルトのトレーニングコーチに09年オフに入りましたが、同年のドラフト2位で入団したのが山本投手でした。2010年「同期入団」の彼がケガで悩み、闇で日々戦う姿も見てきただけに、「本当にお疲れさまでした」という気持ちで一杯です。

 

 山本投手はトミー・ジョン手術を2度受けています。1度目は新人の年でした。オープン戦で登板後に右ひじの痛みを訴えて投げられなくなりました。実は入団前から肘の不安を抱えていたそうです。ドラフトで獲得に踏み切ったスカウト、ケガを見抜けなかったトレーナー陣…誰が悪かったのか当時は議論を呼ぶことになりましたが、一番心を痛めていたのは彼本人だったと思います。「哲さん、寮の部屋を真っ暗にして一人でずっと座っています…」と他の選手に聞いた時は言葉が出ませんでした。社会人から即戦力での期待が大きかっただけに、精神的に追い詰められていたのかもしれません。

   

 ただ彼の凄いところはこの苦しい闇の時期からはい上がったところです。地道なリハビリを丁寧にひたむきにこなし、復活まで気の遠くなるような工程で一切手を抜かなかった。12年にセットアッパーで50試合に登板して防御率1.21、13年は自己最多の64試合登板、14年も3年連続50試合以上登板と救援陣の屋台骨を支えました。15年9月に2度目のトミー・ジョン手術を受けた後もリハビリを懸命にこなし、17年に32試合登板。心が折れずに何度も立ち上がる。野球に対する姿勢、執念は若手たちのお手本でした。

 

 真面目で口数は決して多くありませんでしたが、実直な性格で人望も厚かったです。何よりも野球が大好きな男です。現役は引退しますが、山本投手はこれからも野球に携わってほしいと強く思います。

高橋純一(たかはし・じゅんいち)  1976年8月18日、神奈川県横浜市生まれの42歳。MLBサンディエゴパドレスで通訳兼コンディショニング補佐を務めた後、千葉ロッテマリーンズ、ヤクルトスワローズ、DeNAベイスターズファーム等でチーフトレーナーとして活動。17年より独立。幅広いストレングス&コンディショニング領域をアレンジ、シンプル化させ、「俺、最高。」「やってみるをかなえる。」をキーワードに老若男女問わず、自分の肉体の可能性を高め、向上していくサポートを行う。コーポレートコンディショニングという企業のトレーニング意識を変えるコーチングも担う。 J.T. STRENGTH & CONDITIONING コーポレートサイト(http://www.jt-sc.com)