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小田幸平、江藤智、工藤公康…巨人から人的補償で他球団に移籍した選手たち

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 巨人の内海哲也投手、長野久義外野手が西武と広島にそれぞれ人的補償で移籍したニュースに衝撃を受けた人は多いだろう。巨人はFAで獲得した選手が12球団最多の26人にのぼる。常に勝利を義務付けられた球団は豊富な資金力でFA戦線に積極的に参戦してきた。FAで獲得する選手が多いということは、28人のプロテクト枠から外れて人的補償で移籍する選手も必然的に他球団より多くなる。過去に巨人から人的補償で他球団に移籍した選手たちを前・後編で振り返ってみよう。

 

・95年 川辺忠義投手(日本ハム)

    FA移籍選手 河野博文投手

89年ドラフト2位で社会人・川崎製鉄千葉から巨人に入団。1軍実登板のまま、95年オフに河野の人的補償で日本ハムに移籍。川辺が人的補償による移籍「第1号」だった。96年にプロ初勝利を挙げるなど17試合登板で1勝3敗、防御率4.89。97年限りで退団して引退した。

 

・01年 平松一宏投手(中日)

    FA移籍選手 前田幸長投手

97年ドラフト8位で社会人・JR西日本から巨人に入団。新人の98年に29試合登板と救援で活躍。00年には4勝を挙げてリーグ優勝を決めた中日戦で白星を飾る。01年オフに前田の人的補償で中日に移籍。03年には主に先発で自己最多の5勝を挙げる。05年限りで引退。巨人の打撃投手、JR西日本の投手コーチを務めた後、17年から母校・広島経済大の投手コーチに転身した。

 

・05年 小田幸平捕手(中日)

    FA移籍選手 野口茂樹投手

97年ドラフト4位で社会人・三菱重工神戸から巨人に入団。打撃が課題で1軍で出場機会が勝ち取れなかったが、プロ7年目の04年に初本塁打を放ち出場機会を増やす。05年オフに野口の人的補償で中日に移籍。当時中日の落合監督は「正直言って小田が(プロテクトから)外れていると思わなかったよ」「大もうけと言っていいんじゃないのかな」と守備力を高く評価し、谷繁元信捕手に次ぐ2番手捕手として重用する。巨人時代の8年間の出場数は計86試合だったが、中日では9年間で285試合。大幅に出場機会が増え、人的補償で移籍して活躍した好例になった。

 

・05年 江藤智内野手(西武)

    FA移籍選手 豊田清投手

88年ドラフト5位で関東高校(現聖徳学園)から広島に入団。93年に34本塁打で本塁打王を獲得して不動の4番に。95年も39本塁打、106打点で本塁打王、打点王を獲得する。99年オフに巨人へFA移籍。移籍初年度から2年連続30本塁打を放つが、3年目以降は打撃不振で出場機会が減り、05年オフに豊田の人的補償で西武に移籍。「FA移籍」と「別の選手のFA移籍に伴う人的補償選手として移籍」の両方を経験したプロ野球史上初の選手となった。西武では代打の切り札として活躍。現役通算20年間で364本塁打を積み上げた。

 

・06年 工藤公康投手(横浜)

    FA移籍選手 門倉健投手

81年ドラフト6位で名古屋電気高校(現愛知工業大名電高)から西武に入団。本格的に先発転向した85年に防御率2.76で初タイトルを獲得。MVPも2回活躍するなど西武黄金期のエースとして活躍した。94年オフにダイエー(現ソフトバンク)にFA移籍。99年に11勝、防御率2.38で4度目の最優秀防御率を獲得するなど、ダイエーが福岡移転後初のリーグ制覇に大きく貢献した。同年オフに巨人に2度目のFA移籍。移籍初年度に12勝を挙げるなど2度の日本一に貢献したが、06年オフに門倉の人的補償で横浜(現DeNA)に移籍。09年には救援で自己最多の46試合に登板したが、若返りを図るチーム方針で同年限りで退団。古巣の西武に移籍し、10年限りで引退した。プロ29年間で通算224勝142敗、防御率3.45。15年からソフトバンクの監督に就任し、4年間で3度の日本一と指導者としても結果を残している。